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2019.02.27

日本人にとっての真に豊かな空間とは

インテリアデザイナー
内田繁

1943年神奈川県横浜市生まれ。2016年没。1966年桑沢デザイン研究所を卒業後、1970年に内田デザイン事務所を設立。桑沢デザイン研究所、東京造形大学、ミラノ工科大学などで講師を務めた他、コロンビア大学など世界各国で講演を行なう。紫綬褒章受章、旭日小綬章受章、芸術選奨文部大臣賞他、受賞歴多数。メトロポリタン美術館他、世界各国の美術館にて永久コレクション作品が所蔵されている。専門学校桑沢デザイン研究所所長、通産省グッドデザイン(Gマーク)商品選定審査委員、毎日デザイン賞選考委員、NPO法人東京デザイナーズウィーク理事長、桑沢デザイン研究所同窓会理事長などを歴任。著書に『茶室とインテリア』(工作舎・2005年刊)、『普通のデザイン』(工作舎・2007年刊)、『デザインスケープ』(工作舎・2009年刊)、『戦後日本デザイン史』(みすず書房・2011年刊)など多数

http://www.uchida-design.jp/

「図」と「地」のせめぎあいの中に
空間の印象が浮かび上がってくる

ルビンの壺...心理学者エドガー・ルビンが考案したトリックアート。黒い背景に白い壺があるように見えるが、白い背景で二人の人間が顔を突き合わせている図にも見える。「図」と「地」を考える上でわかりやすい

「図」と「地」とは何か―。
インテリアデザインにおいては壁や床、天井などが「地」であり、家具や装飾などが「図」であると考えます。少し専門的な表現をするならば、「図」とはインテリア空間の中で意匠的なエレメント(構成要素)のことであり、「地」とは、インテリア空間全体のベースということになります。
例えば、白い壁に囲まれた部屋に樹木のようなオブジェのエレメントが一本入っただけで空間の印象は変貌します。その変化は劇的ともいえるものです。また、「図」となるエレメントは決して、もとから装飾的につくられたものだけとは限りません。

テーブルカウンターや棚であっても「図」として、空間の印象をつくり出すことができるのです。棚などは空間の中で、普通なら印象から消えてしまう存在ですが、あえて空間の象徴的存在としてデザインすることもできるのです。

ヨウジヤマモト…空間の単純化を試みていた1980年頃から、何もない空間の密度や、静けさのもつ強さに気づきはじめた。それは日本文化の特性とも重なり合うものであった。素材感や形態、装置などから表層と空間的属性を排除した実験的空間。唯一、中央に配された棚だけが、何もない空間の中心を形成している(兵庫神戸1986年)YOHJI YAMAMOTO 神戸/撮影:Nacása & Partners Inc.

YOHJI YAMAMOTO 神戸/撮影:Nacása & Partners Inc.

僕の作品の一つで、安藤忠雄さんの設計した神戸のデザインズゲートの中にあるメンズブティック「ヨウジヤマモト」も、その一例です。唯一、中央に配置された、単純な形態の棚だけが何もない空間の中心を形成しています。実は、この作品が「日本的空間原理の本質」を内包していることに、やがて気づきました。

日本的空間原理の本質は、日本の景観にも表れています。ヨーロッパが数学的・幾何学的に街づくりをしたのに対し、日本は、ある瞬間に何が見えるか。その瞬間、瞬間の美というものを大切にした、いわば回遊式庭園のような概念の街づくりをしていたのではないでしょうか。そこに、どのような秩序があったのかと考えると、ヨーロッパのような人工的秩序ではなく、自然の秩序をベースにしていたと思われるのです。
自然の秩序というものは、四季の移ろいをくり返しながら長い年月をかけて完成していくものです。ですから、建物をつくるときも、道をつくるときも、自然の植生などを頭に描きながら行なっていたのでしょう。

自然というものは最初は混沌としていても、自然界が種の構成を遷移させながら、やがて極相に至るかのように、長い年月の後に秩序ある美しさを生み出し、それらが「地」となって建物や街並みの色や形という「図」との関係を調和させるのです。では、そうした「自然の秩序」をベースとする日本特有の「地」の感覚はどうやって培われてきたのでしょうか。

「靴を脱ぐ、座る」という座の暮らしが育んだ水平感覚

おそらく僕と同世代の人たちもそうだと思いますが、僕はこの世界に入った当初、日本文化から意図的に逃げるようにして、憧れていた欧米のデザインを追いかけていました。ところが外国のジャーナリストが僕の仕事を見ると、極めて日本的なデザインだと言うのです。畳も障子も何も使っていないのに、一体なぜ、僕の作品は日本的に見えるのか。
日本建築のエレメントであるとか、装飾的なボキャブラリーを使うことが日本的というのではなく、日本には固有の空間特性、つまり日本的な「図」と「地」の本質があるのです。日本特有の「地」の感覚として、第一に挙げられるのが「水平感覚」です。では、なぜ日本人は水平感覚が発達しているのか。実は、日本人の空間感覚に多くの影響を与えたのは、「座る文化」と「靴を脱ぐ文化」なのです。

よく、西洋的空間と日本的空間との違いは、「垂直的空間」と「水平的空間」の違いであるといわれます。例えばシェークスピアの舞台は「遠近感」を必要とします。そのために舞台空間には奥行きと高さが不可欠です。しかし歌舞伎などの日本の舞台空間は、遠近よりも一望できることが要求されます。そこでは「水平性」が重要となってくるわけです。日本のデザインの水平感覚は、「地」となる室内空間が徹底的に水平に構成されたことに由来しています。土間、板の間、畳の間という、水平な床の変化の流れが待ち受けているわけです。

そして、「水平感覚」を生んだ生活は、常に床に親しむという座る生活であり、座る生活が眺める視線を生み出したことになります。静かに座って庭の自然を眺める。この眺めるという視線は目の左右の移動です。目の左右の移動は水平的に見る眼差しです。室内におけるすべてのものが水平にデザインされたのは、そうした眺める眼差しによるものです。そして、その水平感覚を実際に支えていたのが木造建築です。

木造建築における直進性のある意匠がもたらす水平感覚。その中で、建築史家の伊藤延男氏*1は、主体となった木の種類が、我が国固有の直線的木材、檜や杉のように、木目のよく通った、割りやすく加工しやすいものであったことに関連があると述べています。このような直線性は、鉄の丁具が伝えられた弥生時代以来のものです。日本の文化を一般に「木の文化」だといいます。それに対して韓国の文化は「土の文化」です。韓国の主となる木材は松のように曲がった素材なので、建築の外観、意匠には適しません。

そこで土によって全体を覆うことになるわけです。そう考えると、木材の性質がどれほど文化の意匠を決定するかということが、恐ろしいほど明快ではないでしょうか。
装飾性の少ない住宅建築において、檜・杉の直線性そのものを意匠にまで高めたのが日本のデザインだといえるでしょう。そしてそのデザインとは、どこまでも広がる水平感覚とともにあったのです。また、日本の住居の開口部は、高さよりも広がりが重視されています。床に座る暮らしでは、直接的に建築素材に肌が触れます。

日本のインテリアデザインが今日においても素材に対して非常に敏感なのは、そうした生活感覚によるものだろうと思えます。座ることによって生まれる空間への「眼差し」はインテリアデザインへの視線を下げ、その視点から生まれるデザインは常に「水平を強調」したものとなりました。そして「座る文化」が育む水平感覚は、室内にいながら、外部の自然の秩序を「地」として感じることにも繫がっていったのです。

(*1) 伊東豊雄(いとう・とよお)…1941年生まれの建築家。東京大学工学部建築学科卒業。東京大学・東北大学・多摩美術大学・神戸芸術工科大学客員教授を歴任。伊東豊雄建築設計事務所代表。高松宮殿下記念世界文化賞、RIBAゴールドメダル、日本建築学会賞作品賞、グッドデザイン大賞、2013年度プリツカー賞など受賞歴多数。『「建築」で日本を変える』(集英社)、『伊東豊雄の建築』(TOTO出版)など、著書も多数

「地」が自然に近いほど
「図」を際立たせることができる

Dancing Water …撮影:小竹 四朗

日本人にとって、もっとも空間の豊かさを享受できるインテリアデザインとはどのようなものなのでしょうか。つまり「瞬間、瞬間」で移ろいゆく自然と共にある「変化と永遠」を感じられるのは、どのような「図」と「地」なのかということです。
それはやはり、自然の色をベースにしたニュートラルな「地」の空間に、日本の四季の色合いが映える状態ではないかと思います。「地」が自然に近いほど、「図」となる家具や装飾、光などを際立たせることができるのだということです。

現代の日本で、自然の色をベースにしたニュートラルな「地」の空間は何によってつくることができるかといえば「木の床」だと思います。
僕は独立した頃から、皆が避けていた「木」を使うことに全然抵抗感がありませんでした。当時、友人に頼まれてマンションの改装をよく手掛けました。その際、マンションに何が欠けているのかと思ったとき、自然素材だということに気がついたのです。高度経済成長時代のマンションの床はビニール系カーペット全盛期。もっと人間に近い、自然に近い素材を身近に感じるべきだと思い、マンションの床を全部フローリングにしました。
また、最近は素材の使い方も、巧みになってきました。あとはセンス、あるいはバランスの問題です。例えば、どのくらいの木地の面積に対して、どのくらいの白を配置するかというようなことです。固定したものには強い色はつけないことが肝要かもしれません。そうすると、絵を飾ってもきれいに見えますし、絵を取り替えても馴染みやすくなります。道具で色をつくり、空間で地をつくるというわけです。

このように考えると、日本人にとっての真に豊かな空間とは、やはり「自然の秩序」をベースとしたニュートラルな「地」のある空間なのではないかと思います。「地」が確かで揺るぎないからこそ、色や形という「図」が生きてくるのです。

 

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