縄文〜平安時代
2019.01.28

[縄文〜平安時代] 床が日本人の暮らしに与えたもの

縄文時代 床の発生

そもそも日本人が住宅の中に、一段高くなった「板張りの床」をつくり、暮らし始めたのはいつ頃なのでしょうか。
旧石器時代から縄文時代に移り、人々が農耕や狩猟・採取を糧にして定住型生活を送るようになった頃、日本における住宅のルーツとされる竪穴住居がつくられるようになりました。ただし、竪穴住居は文字通り、地面に掘った穴に柱を組んで、上部から草や土で穴全体を覆うように屋根を葺いたもので、板張りの床こそなかったものの、日本人の暮らしを大きく変化させたものであったといえるでしょう。

また、血縁集団ではない人々が竪穴住居で集落をつくり、高床の建物を周囲に配して収穫物を保管する倉庫としていたことも確認されています。高床倉庫は弥生時代になり初めてつくられるようになったとされてきましたが、最近になり、縄文時代の遺跡である青森県の三内丸山遺跡でも、高床の建物の柱穴が見つかるようになりました。つまり、床を高く張る構造をもつ建物は、竪穴住居などと同じように、日本人の生活空間として早い段階からつくられてきたことがわかります。

弥生時代 高床倉庫の登場

三内丸山遺跡で再現された高床建築

ただし当時の高床建築は、そのほとんどが米などを保存するために使用された高床式の倉庫であっただろうと推測されています。実際、こうした形式の倉は高温多湿のアジアには共通して見られるものです。
また、佐賀県の吉野ヶ里遺跡北内郭の主祭殿のような高床の建物に見られるように、当時の高床建築には祭祀(さいし)的な性格をもったものもあったようです。では、日本人が実際に生活の場としてきた住居において、板張りの床というのはどこから始まったのでしょうか。実は、竪穴住居の中にも、一部を板敷きにしてある遺跡が見つかっています。もともと語源としての床は、中国語で寝たり座ったりする台のことであり、この竪穴住居の一部に使われた板張りも、その意味では床の始まりであるといえるのかもしれません。

平安時代 住居の中の床が生まれる

本格的に住居の中に床が使われるようになった例としては、都市の住居としての町家があります。平安京のような都市がつくられると、そこに商家の建築が生み出され、そこでは土間より高くつくられる床が登場します。いわゆる町家とされるその店舗併用住宅では、簡素な空間ながら、その半分の空間を一段高い板張りの床にしています。

「年中行事絵巻」平安京の町家の様子

瓦敷 日本で発達した寺院建築では高く張った床が特徴とされるが、中国から移入された禅宗様の寺院建築では、高い床ではなく瓦敷で仕上げる様式が採用されている(写真は妙心寺仏殿内部の瓦敷)

そのことは、平安時代に描かれた「年中行事絵巻」などの資料からも確認できます。ここで注目したいのは、町家の板張りの床が、その住居のすべてを占めていたのではないということです。今でも残されている京町家を見ても、「おくどさん」と呼ばれる釡の置かれた煮炊きをする部分(通り庭)は、土間のままです。日本人は、土間と、そこから一段高くした床を生活のスタイルに合わせて使い分けてきたのです。

神社建築にはいくつかの様式が認められますが、床を高く張ることは共通しています。古代(奈良時代~平安時代)の出雲大社は、最近の発掘などにより50m近い高さがあったとされていますが、社殿そのものが高くつくられて、床が極めて高い位置に張られていたとされています。

一方、寺院建築も日本で発達したと思われる様式では、高く張った床をその特徴として見いだすことができます。中世以降に中国(宋)から移入された禅宗様の寺院建築では、高い床を張らずに瓦敷で仕上げる様式になっています。そこには、日本の住宅文化に見られた板張床の伝統は見られません。しかし、日本で特徴的な寺院の様式である和様では、床は板敷きで高く張られます。和様といっても純粋な日本式というわけではなく、もともとは奈良時代に中国から移入され、年月をかけて日本化された様式です。 つまり日本人が建築に求めてきた歴史の中では住宅においても寺院のような宗教建築においても、床を地面から高く木造で張るというのは共通した特徴といえます。